加賀市の歴史・文化を総合的に紹介します

 加賀市は、石川県の最南端、福井県よりに位置する、人口約7万人の小都市です。市内には山中、山代、片山津という3温泉地があり、加賀温泉郷の中心地として多くの観光客が訪れています。古代からの歴史を遡ると、越前国(現在の福井県)に属した時代もありました。江戸時代は、加賀藩百万石から分藩し、大聖寺藩7万石(のち、10万石)の城下町として栄えました。

 加賀市の歴史の中で、日本史の教科書にも登場する特に重要な事項として、一向一揆と九谷焼、北前船の3つをあげることができます。

1つ目の「一向一揆」は、加賀の地で宗教の力を背景に、民衆が国を治めた時代がありました。戦国時代、加賀・越前の国境付近、吉崎の地に、浄土真宗の僧、蓮如が道場を開いたことがきっかけとして、当地方に浄土真宗が爆発的に広まりました。そうした門徒たちが、それまでこの地を治めていた守護職、富樫氏を倒し、以後、100年にわたって全国でも珍しい一向宗門徒による国が築かれたのです。

 

2つめの「古九谷」とは、焼き物のことです。当地の山中温泉九谷町の山中から、江戸時代初期に築かれた登り窯が2基発見され、現在、国の史跡に指定されています。ここで焼かれた焼き物は、古九谷と呼ばれ、斬新なデザインと鮮やかな色彩で、国内はもとより、世界的にも高く評価されています。古九谷は、有田焼との関係や、僅か50年たらずで突然、窯を閉じたことなど、まだまだ解明されていないことがありますが、いずれにしても日本の焼き物を芸術の域にまで高めたことは間違いなく、現在も多くの人々を惹きつけています。

 

3つ目の「北前船」は、北陸を中心とした船乗りたちが、江戸時代から明治時代にかけて、日本海を舞台に、大坂と北海道との間を往来し、北海道の海産物を大量に京・大坂に運び、日本経済を支えました。加賀市の橋立・塩屋・瀬越の海村からは、この北前船の商いをおこなっていた船主や船頭が輩出し、「北前船のふる里」と呼ばれています。

 

 それでは、このあとは、「古代」「中世」「近世」「近代」の4章にわけて、加賀市の歴史を見ていきましょう。